
死の大地にも水はあり、砂漠にも泥地はある。
風のない朝、オッシアの骨の沼地。点在する不気味なオアシスから離れた一角、一つの巨影が身じろぎもせず潜んでいた。埃と泥をまとい、まるで崩れた石塊のように沈黙している。
その傍らには、フュージル・メジャー――ジャック・ハントが伏せていた。オゴウル・ウォーハルク“グログ”の傍ら、自身が立つ見張り台を固定する縄をしめ直しつつ、巨大なフュージル銃から泥や砂を静かにかきだす。呼吸を殺し、沼の気配に溶け込む。
「グログ、動くなよ。今はお前さんは石だ。墓石より静かに」
「グログ……鼻ムズムズ。でも、ガマン……」
グログは泥濘に伏したまま片目だけを開く。その背後には、フリーギルド・フュージリアの銃兵たちが泥を塗りたくった盾の後ろに伏せている。アルケマイト・ウォーフォージャーの杖は魔法の光を消している。側面の藪ではワイルダーコーア・ハンターたちが矢を番えて気配を殺している。
銃兵小隊は今、必死にある相手から隠れていた。必死に。
それから数刻程後――ざわり、と大気が震えた。
それは葉擦れでも獣でもない。重く冷たい戦争の足音だった。
薄暗い砂地の彼方、赤い影がゆっくりと現れる。
その樹木たちは赤かった。ツリーレヴナントが小枝のような槍を構え、クルノス・ハンターが大弓を構え、そして隊の中央には朽ちた巨木の如きツリーロードが立ち塞がる。その先頭には、怨嗟の仮面を纏うブランチウィッチの姿。
「木の精霊共……。全く、グェーランでもねえのにこんなところで出くわすとは」
ジャックは小声で呟く。
数時間前、彼らはこの地の骸骨兵と幽鬼との戦闘に勝利した。しかしそこですかさず襲いかかってきたのがこの連中だ。すぐさま逃げ出したが、そんな体力が皆に残っていないのはすぐに分かった。結果、目の前にはシルヴァネスの剣が迫る。
逃げられないなら、迎え撃つまでだ。昨晩野営したオアシスの近く、泥地を戦場に決めたジャックは作戦を全員に伝えて、この地に潜んだ。
砂漠から泥地へと、ツリーロードが幹を軋ませて前進し、クルノス・ハンターたちが矢を引き絞る。小さなツリーレヴナントたちは泥濘で足を取られ、隊列が乱れ始める。
頃合いだ。常ならばシルヴァネス相手に自然の地形で待ち伏せなど考えない。だがここはオッシア。土も水も死の王の恩恵を受けている―――つまり相手は鼻がきかない。
「よし……グログ、起きろ。『塔』になるぞ」
「グログ、塔、起きル!」
泥が爆ぜ、沼から黒鉄の塔が立ち上がる。フュージル・メジャー、ジャック・ハントと共に跳ね起きたオゴウル・ウォーハルク“グログ”が咆哮する。フリーギルド・フュージリアたちが泥を弾いて立ち上がり、盾を突き出す。
「さてお返しだ……撃て!」
ジャックのフュージルが火を噴き、合図と共にフュージリアたちが一斉に発砲。爆音と火薬の煙が沼地に轟き、弓をつがえていたクルノス・ハンター達の身体に穴が空いていく。
側面からはワイルダーコーアの矢が斜めに飛び、荒野の猟犬が吠えて飛び掛かる。アルケマイト・ウォーフォージャーの呪文が盾列を守り、火のルーンが手斧や武器に輝きを与える。
「グレイウォーター流の歓迎ってやつだ、森の化け物ども!」
銃火の嵐に木霊の戦士たちが沈む。ぬかるみが敵の足を奪い、砕けた枝が宙を舞う。しかし、ツリーロードが枯れ木の影に滑り込むように姿を隠し、忽然と消えた。
「まずい……“隠れ道”か!」
直後、泥をわたった此方側、壊れた城壁の影から巨躯が現れた。ツリーロードが転移してきたのだ。雷鳴のような咆哮と共にジャック目掛けて突進してくる。
しかし、彼は一人ではない。
「グログ!構えろ!」
「来ル!グログ、塔、負ケナイ!」
グログが膝を沈め、両手に備え付けた巨大な盾を交差させる。地鳴りと共に木の巨体が衝突し、グログの足元が砕ける。だが揺るがぬその力は、ツリーロードの猛進を跳ね返した。
「お前、塔ヨリ、弱イ!」
振り払われた巨木が後退し、距離を取った瞬間、揺れる足場でジャックは弾丸を装填する。
視界の済には先程止めを指し損なったクルノス・ハンター。その一体がこちらめがけて迫ってきている。
だが大丈夫だ。
足元の相棒を信じ、ジャックは銃口を巨影に向けた。
戦いは長くは続かなかった。ここはオッシア。相手も無傷ではなかったのだ。
砕けた木片、血のような樹液が沼に溶け、霧の向こうには盾列がなおも立つ。フュージリアたちが勝利を喜び、ワイルダーコーアが吠え、グログが鼻をつまんだ。
「クサイ。グログ、沼キライ」
「贅沢言うな。お前が暴れた成果だろうが」
ジャックは銃口の泥を拭いながら笑う。
「塔ってのはな……立つ場所より、立ち方が大事だ。上出来だぜ、グログ」
「ジャックと、塔、最強」
「おう、次も頼むぜ、“塔”殿よ」
味方はみなボロボロで、弾丸も残り少ない。ここから拠点に戻るまでは何日もかかる。
だがそんなものはいつものことだ。ジャックは兵たちをどれくらい休ませてからまた動くか、考えはじめた。
陽はまだ昇らずとも、骨の沼地にはシグマーの鉄と火薬、そして“塔”の勝利が刻まれていた。
了